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日米政治家の格の相違と杉原千畝氏

2004年4月18日

宇佐美 保

 

 今回、人質として拉致された郡山総一郎さん、今井紀明さん、高遠菜穂子さん、その後に拉致された、安田純平さん、渡辺修孝さん、5人の方全ての方々が無事解放され本当に良かったと思います。

 

 そして、次のような記事(毎日新聞4月16日東京夕刊)を読み私の喜びと、人質になられた方々への私の尊敬の念は倍増しました。

 

 インタビューは日本人人質3人が保護された「イラク・イスラム聖職者協会」で行われた。高遠さんはボランティア活動を続けるかという質問に対し「続けます」と述べた。さらに「今は、すごく疲れて、ショックなこともあるけど、言いたいこともたくさんあるけど、嫌なこともされたけど、イラク人のことを嫌いになれないんです」と、涙で声を震わせながら答えた。

 郡山さんも「撮るのが仕事」と話し、イラク国内での撮影活動への意欲を失っていないことを強調した。

 

 私は、今回の様な、死の恐怖に突き落とされた後での様な発言が、イラクと日本の今後の友好に役立ち、これからの世界にとって必要とされるのだと思います。

 

 更には、このインタビューの際、通訳をされていたイラク人の通訳ディア・キデルさんに関する記事を朝日新聞夕刊(416日)に見ました。

 

 ディアさんは98年にイラクから来日。新聞配達をしながら日本語を学んだ。今は東京で通訳や翻訳の仕事をし、「日本の心も持っている」。

 バグダッドの南60キロにある故郷アルムセイヤブに一時帰国したちょうど翌日。ディアさんは衛星テレビ・アルジャジーラで事件を知った。

 いてもたってもいられず、行動を始めた。バグダッドや、3人が拘束されたとされるファルージヤ近郊、バグダッドの北のサマラや南のナジャフ、カルバラを訪れた。

宗教指導者を訪ねては、3人の人となりやこれまでの活動を説明し、解放への協力を頼んだ

 「3人はイラクの人々を助けに来た。秘密警察やスパイではない。アラビア語のできない3人は不安で仕方ないはず。早く解放するようにしてほしい。身代わりに私を人質にしてもいい」……

ディアさんは兄の技師サファさん(38)とともにバグダッドでイスラム宗教者委員会を訪れ、解放の場に立ち会った。

 武装勢力には人質の解放を喜ばない人もいるという。自身の安全を考えると、解放の経緯など、まだ話せないこともたくさんある。ただ、今回奔走した動機についてディアさんは「私は日本人にお世話になった。今回は日本のため、自分がやるべきことをやっただけだ」と語った。

 

 そして、ディアさんが「3人はイラクの人々を助けに来た」の実例は、次の記事(朝日新聞412日)で明確です。

 

 「ナホコが人質? 僕を代わりに人質にしてナホコを解放してあげて

 イラクで武装勢力の人質になっている高遠菜穂子さんがバグダッドで世話をしていたストリートチルドレンの1人を、イラク人通訳バスマン・アルジャレリさんが見つけ出した。少年の思いを伝えてきた。

 バグダッド中心部、パレスチナホテル近くの路上で生活しているモハメド・フセイン君(16)が高遠さんと知り合ったのは昨年11月ごろ。寒い夜に、食べ物や毛布をもらったという

 バスマンさんは「ナホコが人質と知ってフセイン君は動揺して、目を真っ赤にして僕に何ができる、何でもすると言ってきた。ナホコの世話になったもっとたくさんの子どもたちを集め、デモをするか、アルジャジーラの支局に連れて行き放送してもらおうと思う」と話している。

 イラクの子どもたちを撮り続けてきたフォトジャーナリストの豊田直巳さんが、高遠さんたちを何とか助け出したいとバスマンさんに国際電話し、高遠さんを知る子どもを捜してくれるよう依頼した。高遠さんの仕事を手伝ったこともあるバスマンさんはすぐに街に出て、フセイン君を見つけた。

 

 この様な、自らの命を危険に曝しながらも、民間のイラクへの人道支援に身を擲つ高遠さんの行為が、イラクの人達、又、世界の人達の心を打ち、新しい世界の萌芽となって行くのだと思います。

 

ところが、高遠さん達の留守宅などに、嫌がらせ沢山電話などが入ってくると云うのですから、私はビックリしまし、悲しくなりました。

(拙文《イラク人質と拉致問題と武士道》等も御参照下さい)

 

 おかしな風が日本を吹き始めたのに驚き、寒気を感じます。

 

 その中で、TBSテレビなどから流れた下記(TBSのホームページ4月16日)のパウエル国務長官の談話に、感嘆の声を上げました。

 

 JNNとの単独会見に応じたパウエル国務長官は3人が解放されたニュースを聞いて、「とても喜んでいます。日本人人質のことを心配していたので、無事解放され、とてもうれしい」と語りました。
……

 さらに日本の一部で、人質になった民間人に対して、「軽率だ、自己責任をわきまえろ」などという批判が出ていることに対して、「全ての人は危険地域に入るリスクを理解しなければなりません。しかし、危険地域に入るリスクを誰も引き受けなくなれば、世界は前に進まなくなってしまう。彼らは自ら危険を引き受けているのです。ですから、私は日本の国民が進んで、良い目的のために身を呈したことをうれしく思います。日本人は自ら行動した国民がいることを誇りに思うべきです。また、イラクに自衛隊を派遣したことも誇りに思うべきです。彼らは自ら危険を引き受けているのです。たとえ彼らが危険を冒したために人質になっても、それを責めてよいわけではありません。私たちには安全回復のため、全力を尽くし、それに深い配慮を払う義務があるのです。彼らは私たちの友人であり、隣人であり、仲間なのです。」と述べています。……

 

 そして、この発言が、ベトナム戦争に従軍し、湾岸戦争を指揮した体験を持ち、幾多の生命の危機を乗り越えてこられたパウエル氏によってなされたことで、その意味はより重みを増します。

(他のブッシュ政権の幹部達は、ベトナムへの従軍を回避しております。

そして、ブッシュ政権内に於いて、パウエル氏は、彼等ネオコンと日頃意見を異にしていることが、ボブ・ウッドワード氏の著作『ブッシュの戦争(日経新聞社発行)』を読んでも汲み取れます。拙文《ブッシュ氏とその政権の危険性(2》も御参照下さい

 

 何故、パウエル長官の発言のように、私達日本人は、高遠さん等3人の行動に対して、日本人としての誇りを感じないのでしょうか?!

 

 更に、朝日新聞(4月17日)は、次のような仏紙ルモンドの記事を紹介しています。

 

 17日付の仏紙ルモンドは評論欄の1ページを割き、イラクで3人の日本人が人質になった事件に関するフィリップ・ポンス東京支局長の論評を掲載した。「事件は、外国まで人助けに行こうという世代が日本に育っていることを世界に示した」として、「無謀で無責任」と批判されている元人質を弁護している。

 「日本、人道主義の勢い」と題した長文記事は「軽率で無邪気すぎるかもしれないが、ネクタイ・スーツ姿と夜遊びギャルの間に、激変する社会に積極的にかかわろうとする者がいることだけは分かった。彼らは自分なりに世界を変えたいと考えている」と、元人質の行動に理解を示す。

 また「親の世代のように企業社会に服従することを拒み、新たな感受性を見つけた若者たち」を束ねる「10万の非政府組織(NGO)」の活動にも注目。「阪神大震災以降、人道・奉仕活動に身を投じる子供たちが増えている。日本人の人質たちは一つの象徴だ」と結論づけている。

 

 この様に、ルモンド紙は、3人の行動を「親の世代のように企業社会に服従することを拒み、外国まで人助けに行こうという世代が日本に育っていることを世界に示した」と評価しているのです。

 

 ところが、我が国の小泉首相は、首相官邸で記者団の「3人の行動に対して」の見解を求められて次のように語っていたのです。(朝日新聞4月17日)

 

退避勧告を無視して出かけていった方々にもよく考えていただきたい。いかに善意の気持ちがあっても、これだけ多くの人たちが救出に寝食を忘れて努力してくれているのに、そういうこと(イラクでの活動を継続したいと)を言うんですかねえ。自覚を持っていただきたい

 

 あまりにも、パウエル長官や、ルモンド紙の論調との違いに驚かされます。
小泉首相は、映画『たそがれ清兵衛』にお感激したそうですが、南部藩の下級武士吉村貫一郎を描いた浅田次郎原作、滝田洋二郎監督の映画『壬生義子伝』は御覧になりましたか?
南部地方の飢餓で、飢え死に寸前の愛する家族を救う為、脱藩し新選組に身を投じ、最後は、錦の御旗を掲げる官軍に、南部藩士としての義を重んじて単身切り込み、自害して果てた吉村貫一郎を死ぬことが判っていて義を貫く愚者とあざ笑えますか?
更に、父亡き後、最後の決戦の場を求めて函館に渡り、義を貫き、討ち死にした息子嘉一郎も愚者とあざ笑うのでしょうか?
私達の先祖達は、小器用に生きるばかりにうつつを抜かしていたのですか?!
今の世に、義を重んじて行動する方々に、小泉首相は、何故敬意を払わないのですか?!

 

この驚きは、週刊新潮(2004.4.22号)の特集

「人質報道」に隠された「本当の話」

に代表される、人質被害者そして、家族のプライバシー暴露、中傷的な記事が日本のマスコミに溢れ始めたことによって増幅して行きます。

 

 大手のマスコミは

「危険な場所は事前に入念に調査して、危険な場所へ出掛けることは当然自主規制すべき」

等と表明したりして、自社のジャーナリストをイラクから引き揚げてしまっていたら、戦争の悲惨さは誰が伝えるのですか?

危険のない場所だけで取材していて、

「イラクは本日も平和です。」

の情報を日本中に発信しているだけで良いのですか?!

 

 そして、結局は、危険を承知で取材する郡山さん達のフリーなカメラマン、ジャーナリストの情報で紙面を作り上げているのではありませんか?!

 

 政府関係者達は、このマスコミの風潮に力を得るかの如く、まるで、パウエル長官とは正反対の見解を恥ずかしげもなく吐き出してくるのです。

 

 先ずは、毎日新聞(4月16日東京夕刊)は、次のようです。

 

 退避勧告の問題をめぐっては中川昭一経済産業相が「人によってはまた行きたいと言っている。万一のときは自己責任を負ってください。政府、関係者、(北海)道庁、外国、イラクの方々に迷惑をかけないで自己完結でやっていただきたい」と、被害者らがこれ以上イラクに入らないようけん制。井上喜一防災担当相は「(被害者がイラクから)帰ってくる飛行機代はどうするのか。本来、個人が負担していいものは本人(負担)ということになるのではないか」と、3人の解放に要した経費の問題に言及した。

 

 中川昭一氏は、前拉致議連の会長だった方です。

私は大変不思議な思いがしています。

前拉致議連の会長だったら、拉致された本人、そしてご家族の苦しみに対して、人一倍の理解がある方と存じます。

ですから、今回の事件に於いては、人質救済の先頭に立ったのかと思っていましたら、そうではないようです。

なにしろ、常々、

「北朝鮮の拉致問題は、戦艦を先方に差し向けてでも解決すべき」

と語っている石原都知事は

危険を承知で自らの意志で出かけていって、人質となった、今回の被害者は、北朝鮮に無理矢理連れて拉致された方々とは、根本的に異なる

 

旨の見解をテレビ画面で披露していましたのですから、中川氏も同様なご見解なのでしょう。

 

 でも、待って下さい。

(ここで、先の拙文《イラク人質と拉致問題と武士道》の一部を再掲致します。)

 

曾我さんの御主人のジェンキンスさんは、自らの意志で北朝鮮に脱走しています。

更には、日経新聞には、次のような拉致された方々の記述もありました。

((http://www.nikkei.co.jp/sp2/nt25/20021002KQ5A2001_02025002.html))

 

本人が北朝鮮への観光の意向を示した方

金もうけと病気治療のため、海外行きを希望。工作員が本人の戸籍謄本を受け取る見返りに100万円の提供と北朝鮮への入国を密約した方

留学中、特殊機関メンバーが北朝鮮行きを誘うと、一度行ってみたいと応じた方

北朝鮮の特殊機関工作員から北朝鮮訪問を勧められ応じた方々

 

 (勿論、ご本人の発言そのものではないのですから真偽のほどは判りません。)

 

 そして、尚酷いのは、公明党の冬柴鉄三幹事長の発言です。

(毎日新聞4月16日大阪夕刊)

 

「解放までに政府がかけた費用を国民に明らかにし(今回の3人に)賠償を求めてもいい

 

 そして、この様な政治家の発言を受けてお役人は、誠にお役人らしい行動をとるようです。(朝日新聞4月17日)

 

 外務省はイラクで解放された日本人の人質3人に、バグダッドからドバイへのチャーター便の費用の一部と、ドバイの病院で行った健康診断の費用について、自己負担を求める方針を決めた

 外務省幹部は17日、救出にかかった費用を本人に負担するよう求める声があがっていることに関連して「外部の人に負担を求める際には、内部の規定があり、チャーター便についてはエコノミーのノーマル料金を負担してもらい、健康診断については当然かかった費用を基本的に負担してもらうことになろうかと思う」と述べた。それ以外の費用については「現在進行形でオペレーションが進んでおり、総額を出す段階にない」としている。

 

 この様に発言する政治家達、又、その意を汲んで行動するお役人達は、もう一度パウエル国務長官の発言を良く噛み締めて頂きたいものです。

 

 私は、今回の3人の行動は、或る意味での立派なODAだと思います。

公明党の冬柴鉄三幹事長の賠償請求発言並びに、小泉首相の、

 

“これだけ多くの人たちが救出に寝食を忘れて努力してくれているのに”

 

との非難は、多くの人達の苦労が、今回の3人の行為が、ある種の立派なODAの実を結んだのですから、(賠償請求や非難は御門違いというものです。

 

 国際貢献は、国家間だけで遂行されるのではありません。

民間の草の根的な運動とが綾をなしながら達成されるのだと存じます。

 

 若し、今回の費用を「自己責任」として賠償せよと云うなら、過去に行った相手国国民の役に立たなかったODAの責任、又、私達の「国民年金」や、「厚生年金」をガタガタにしてしまった責任を、役人や政治家の方々に全額賠償する事で果たして頂きたく存じます

 

 役人達は、自分達の「共済年金」を手塩に掛けて立派に(積立金方式で)運用成長させてきました。

ところが、役人達や政治家達は、私達の「国民年金」や、「厚生年金」を貪り食ってガタガタにしてしまったのです。

「国民年金」や、「厚生年金」だって、積立金方式で運用出来たのです。この件は拙文《インチキ評論家が年金は黒字と嘘を言う》、《一元化の前に共済年金の実態を明らかに!》等を御参照下さい)

パウエル国務長官やルモンド紙と、我が国の政治家、役人達の、今回の3人の行動に対する、評価の相違は、杉原千畝氏に対する我が国の外務省などの処遇を思い起こさせます。

と申しますのは、第2次大戦中に、外務省からの回訓に背いて、ユダヤ人にビザを発行し、6000人のユダヤ人を救った当時のリトアニア領事代理の杉原千畝氏を、戦後、我が外務省は、辞職に追いやってしまったのです。

 

 しかし、この不遇に陥った杉原氏を、イスラエルは探し出し、感謝の意を込めて1985年1月「諸国民の中の正義の人賞」を杉原氏に送っているのです。

 

 是非、外務省の方々、政治家達に杉原千畝氏に対しての不当な扱いを思いだして頂きたく存じます。

そして、「彼の行動」、「彼の大きな心」(人道、博愛精神第一の心)を、見習って頂きたく存じ、杉原千畝氏の奥様の杉原幸子さん、ご長男の弘樹氏の著作『杉原千畝物語(金の星社発行)』から、当時の杉原氏の行動の一部を紹介させて頂きます。

 

 明くる日も、朝早いうちから、人びとがおしよせてきました。それも、きのうより、人数がふえているようです。

 この日も一日じゅう、外では混乱がつづくことでしょう。外のようすを見て、パパもわたしたちも、じつとしてはいられなくなってきました。

 バパは、ゆうべは、よく眠れなかったようです。夜中に、何度も、ねがえりをうつのがわかりました。わたしも、あまり眠ることができませんでした。

……

 外では、あいかわらず、騒ぎがつづいています。

〈このままにしておくわけにはいかない。かといって、門を開けて、みんなが入ってくると、大混乱になってしまう……〉

 パパは、考えたすえに、ユダヤ人の中から五人の代表を選んでもらって、話を開くことに決め、人びとにそう伝えました。……

そして最後に、

数人分のビザでしたら、わたしの権限でもだすことができますしかし、何百人、なん何千人ともなると、どうしても本国の外務省の許可をもらわなければなりません

ですから、きょうは、あなたがたの求めに、すぐお答えすることができないのです」

 そういって、話し合いを終わりました。

……

 日本の外務省へ電報をうってからというもの、わたしたちは、じりじりしながら、その返事を待ちました。

ユダヤ人たちにも、電報のことは知らせてありましたが、一日二日と、返事がないままにすぎていきますから、落ちつかないようすでした。

「まだ、返事はないのですか……」

 五人の代表も、結果を早く知りたくて、何度もやってきては、肩を落としてもどっていきました。

領事館の門は、あいかわらず、閉めたままにしてあります。門を開けば、また、大ぜいの人がなだれこんでくるかもしれません。わたしたちは、二日も三日も、領事館にとじこめられたようになっていました。

……

 やがて、外務省から、待ちに待った返事がとどきました。

 答えは、

いきたい国から入国の許可証をもらっていない人には、日本に入るビザをだしてはいけない

 というものでした。

「やっぱり、思ったとおりだったよ……」

パパは、力なく、そうつぶやきました。

……

「幸子、ぼくは外務省の命令にそむいてでも、領事の権限で、ビザをだすことにする。いいだろう」

 パパは、とうとう決心したようすです。

「はい。あとで、わたしたちがどうなるか、わかりませんけど、そうしてあげてください」

 わたしの心も、パパと同じでした。

……

 

 更に、杉原千畝氏は、この際の心の動きを、自らの手記に残されています。

『決断・命のビザ』(杉原幸子監修、渡辺勝正編著:大正出版発行)から抜粋)

 

 回訓(筆者注:在外の大使・公使などが訓令を求めた件に対し、本国政府が回答の訓令を発すること。また、その訓令)を、文字通り民衆に伝えれば、そしてその通り実行すれば、私は本省に対して従順であるとして、ほめられこそすれ、と考えた。

 仮に当事者が私でなく、他の誰かであったとすれば、恐らく百人が百人、東京の回訓通り、ビザ拒否の道を選んだだろう。

 それは、何よりも、文官服務規程方、何条かの違反に対する昇進停止、乃至、馘首が恐ろしいからである。

 私も、何をかくそう、回訓を受けた日、一晩中考えた

果たして、浅慮、無責任、我無者らの職業軍人グループの、対ナチス協調に迎合することによって、全世界に隠然たる勢力を擁する、ユダヤ民族から永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備、公安配慮云々を盾にとって、ビザを拒否してもかまわないが、それが果たして、国益に叶うことだというのか

苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た

そして私は、何も恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している」


杉原千畝の手記

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